オットーの日常

日々の日常、考えたことを綴っていきたいと思います。

朝の散歩とお弁当

今日もせいが学校に行った後、三人で散歩に行った。

道中、さっぴが朝弁があると眠くてもお弁当のために散歩に行こうという気になると言ってくれたのが嬉しかった。

あ、でも自分の作ったお弁当を喜んでくれてるのか、それとも美味しくご飯を食べれることを喜んでくれてるのかどっちか、あるいは両方か、まるで違うのか確認するの忘れた。

後で聞いてみよう。

どこの夫婦もある程度そうなのかもしれないけれど、妻は自分の考えと全く違うことが多々あり、予想の斜め上の更に上をいく発想で物事を考えたり、感じたりしてることがすごく多く、そんなところにとても惹かれた。

ちなみに、とくがその血を濃く受け継いでいる。

残ったパスタとお好み焼きをお昼ごはんに食べた後、とくのそんな話をした。

さっぴ曰く

「せいは、予想出来る。例えば『お仕事(朝の学習)したくないなら高校行かなくて働いてもいいよ』と言っても、そんな選択肢は選ばないからそう言える。けど、とくはそんなことを言おうものなら、『高校に行かなくてもいいっていう新しい価値観ゲット!じゃ行かない』ってなりそうだから絶対言わない。正直、思春期に何を言い出すか予想がつかない。ただ、その時の自分たちの発想にないことを言い出すと思う。」

自分に似たるから分かるみたいだけど、何を言うかは分からないそう。

うーん。 怖いもの見たさのような楽しみさはあるけど、自分に似て派手好きというか高価な物やサービスがとくは好きなので確かに金銭面含め少し怖いなとも思う。

さっぴとは違うけど、ふと自分の親も俺がとんでもなくお金のかかることを言い出すのではないかと怖かったのかなとふと思った。

ただ、応援するにしてもお金には限度があるし、どこで線引きするか難しいところ。

うーん。やっぱり無理はしないことかなぁ。

結婚記念日に究極のアイスクリーム造り

今月末は結婚記念日。 前々から思っていた究極のアイスクリームを作ってみるのはどうかなという話をさっぴとした。

究極のアイスクリームとは、自分たちの現状知りうる中で最高の素材でアイスクリームを造るという贅沢なもの。

材料は、多くの日本人よりも良質な食事をしている鶏の平飼いたまご

循環農法で作られた無農薬苺(最短半日でカビが生えたことあり)

特別牛乳

食べる分の苺も買うのと卵は10個単位でしか買えないので、材料費だけで5000円超え。

お店で出すなら1カップ2000円、銀座で出すなら3000円はするね、ピエール・エルメがマカロン付きで出したら売れるかもという話をした。

どんな味がするか楽しみ。

掛かる費用が高過ぎるため、一般には決して販売されないものを作るの好きなんだなと気がついた。

そんな時、「そのアイスクリームいつ作る?いつ材料買いに行く?」と真剣な顔で聞いてきたさっぴがすごく可愛かった。楽しみにしてくれてそうで嬉しい。

パンツ30枚

先日アマゾンで買った下着が届いて、これは快適という話をさっぴにしていたら、一通りどんな会社の製品か聞いた後

「60枚くらい買っておいたら?しかもセール今日までなんでしょ?」

え、、同じ下着60枚!?一生分買うの!? え、そこまで気に入ってるかな。というかまだ履いて初日だし、どこまで丈夫かも分からないし、かぶれたりする可能性もあるのに? あ、けど買う前にブログとかで調べてたら、かぶれたとか耐久性に問題あるとかは書いてる人いなかったから、その可能性はかなり低いか。そもそも綿だし。

けどけど、他に新しい製品出たり、他のに目移りしたりしないかなとか言ってたら、既にこれまで履いてた下着は既に6年ほど同じものを買っていると教えられて、もうそんなに経ってるのかと月日の流れの速さに驚く。

そして、さっぴ曰く、こういう会社の製品の値段は必ず上がるとのこと。

それなら、飽きるなり他のものが気になったら売るという選択肢もあるかと納得し、結局、60枚買うのはびびって30枚購入。

しかも、まとめて買うと割引が受けれなかったので3枚1セットを10回に分けて注文。 今日、人生で一番アマゾンで注文した日のような気がする。

昔からさっぴのこういう、いけると思ったら一気に攻めるところ凄いなと思う。 多分、バフェットの教えを俺よりも遥かに忠実に守ってるんだと思う。

先日も牛革の自分の中では高価なある鞄を買おうと思うと結構勇気出して言ったのに、何故、それが買いたいか説明したら

「それなら、クロコダイルにしたら。ちまちま買うの面倒くさいよ。」

と言われた。 え、一桁上がるんだけど…。

と思いながらもそんなところも相変わらず好きだなと思う今日この頃。

野菜を買いに

今日は野菜を買いに一時間ほど三人でドライブ(せいは学校)。

道中、さっぴと三人目の話をした。

今は人生イージーモードだけど、困難な道に飛び込もうとまたしてるんじゃないか、さっぴに何かあったり、子どもに障害があったらなど、悩んでるところは、自分と一緒だった。

けれど、悩むってことは本心では欲しいってこと。

いざ三人目が出来たら、二十歳の頃に自分で今の会社を経営していくか就職するか悩んだみたいに、十年後くらいに何でそんなことで悩んでいたんだろうと思えるのかなと思ったり、バフェットの「人生では何かをしたがた めの失敗よりも何かをしなかったがための失敗の方が遥かに多い。」という言葉を今思い出した。

若い頃、特にさっぴと出会う前は、幸福や癒しなんて知らなかったから、ひたすら攻めの姿勢だったと思う。というか攻めるしかなかった。

けれど、さっぴと出会ってから幸せがどんなものか分かってきて、子どもを授かってどんどんと幸せになっていった。

今は十分に幸せ過ぎて、それを失うのが怖くなってるんだと書きながら気がついた。

それなら、冒険はしないから今のまま幸せを維持させて欲しいと思っているのかな。 けど、よく考えると三人目がいないことと今の幸せを維持できることって全く関連性ない。めっちゃ非論理的。

直感は外れないなら、自分たちの本心に従う方がいいのかな。

そんなことを恐らく今日たくさん買ったスナップエンドウの夢を見ながら幸せそうに昼寝してるさっぴを見ながら考えた。

今日分かったこと 「まっとうな生き方と幸福には関連性がまるでない。」

さばの味噌煮

今日は朝、卵パスタを作って、その後、太陽が丘でとくのベビーカー筋トレ(坂道をベビーカーでひたすら押すとく独特の筋トレ。その甲斐あってかたくさん食べてもとくはスリムボディ)。

昨日のさっぴのブログを読んで、ビーフシチュー本当はもっと食べたかったんだけどすぐになくなると悲しいかなと思って我慢したら、さっぴの本音は真逆だったことを知る。

ブログを書き合ってないと分からなかった本音。 こういうことを繰り返すと夫婦がすれ違う→まる離になるんだと思い、ヒヤッとする。

さっぴが一緒にすることをブログって言ってくれてよかった。

その後、さっぴとくはお昼寝したので、ワシントン条約について少し調べて刑事の人が書いた本を読む。

昨夜、さっぴがイタリア人の研究者が書いた日伊の比較研究?の本を読んで、自分がイタリア人の表面的な部分しか見ていなかったことを教えてもらい、知った。

村主義で会社や友人との飲み会のようなものもなく、身内主義ということは知っていたけれど、その身内の飲み会やホームパーティーなども身内から仕事を斡旋してもらうために出席し、その代わりに相手が政治家なら票集めをするなどと言うことは知らなかった。

つまり、一族の仲がいいからみんなでわいわいとやるために参加するのではなく、互いにメリットがあるから出席するという非常に合理的な理由があるということに驚いた。

つまり、逆に言うと自分の家族以外は友人、知人はおろか親族でもメリットがないと関わらないということ。

けれど、それを聞いて安心した自分もいた。

昨日、さっぴもブログに書いていたけれど、妻も自分も友人はいない。

寧ろ、自分自身について言えば、昔から出歩いている時は知り合いの家の前を通るのを避けたり、どうしても通らなければいけない時は「会いませんように」と願いながら足早に過ぎ去っている。 身内ともコロナが理由で以前に比べれば遥かに会っていない。

家族以外で会って話す人と言えば、散歩してるときに会う近所の人に挨拶をするくらい。

そんな生活が快適なんだけど、そんなに人と関わらなくていいのか、というかそれでぼけないかとぼんやりと心配していたんだけど、それをとても肯定された気がしたからだと思う。

今日は午後からせいのサッカー。 サッカーやってる間、今日はテニスの壁打ちしよう。

とくのお宝隠し

今日は朝から少し雨だったので、せいが学校に行った後、3人で図書館へ。

資産が増えるに従って家族で図書館を利用する頻度が増えてるのが何か嬉しい。

なんでだろ。資産があっても無料の図書館を利用するスマート暮らしな自分がかっこいいとか思ってるのかな。

さっぴと二人で本屋に最後に行ったの何年前だろう。

その後、図書館で借りたCDを紛失してしまったので家の中を大探し。

そしたら、色々な場所から失くなったと思った結構重要なものがたくさん出てきた。 場所はすべてとくが届く範囲の場所ばかり…。

まだ2歳だけど、これってひょっとしてわざと?

場所は、壁際の畳の隙間、床下収納、納戸の段ボールと壁の間などなど。

まさかとは思いながら、さっぴに意見を尋ねると

「わざとだね。なんかイライラした時にやったんじゃない?」

「えー。さっぴもやったことある?」

「あるよ。お父さんとお母さんが話をしててさっぴの話聞いてくれなかったから、ぴきってなって土地の権利書とか隠した。」

普段、穏やかでにこにしてたり、好奇心が強く危険なことが好きだったり、隠れんぼが異常なくらい上手いところなどがさっぴに似てるとく。←せいは俺に似て真逆

そんなさっぴに惹かれた自分だけど、息子がそうだと怒らせるとちょっと大変だなと思った今日の昼下り。

結局、図書館のCDはタンスの一番端の奥から出てきました。 どう考えても手が届くところではないのでさっぴ曰く

「何かで押したか投げ入れたんじゃない?」

朝弁

昨日の日記を読んださっぴ(妻)から言われた一言。

「文章かたくて読みにくい。」

うーん。 確かにさっぴほど面白くて読みやすい文章じゃないなぁ。

書いてくうちに読みやすい文章になるかな。 何せ日々日記を書くこと自体、mixi以来だから15年ぶり。 まだ全然慣れない。自分でもめちゃくちゃ違和感がある。 文章も書かないと下手になるんだなと痛感。

昨日に引き続き、さっぴの朝弁を作って息子が学校に行ったらとくと三人で散歩。

その時に「こうちゃんに毎日朝弁当作ってもらったら幸せ『かも』しれない。」 と言われて泣きそうに。

最近、さっぴが幸せに感じることを全然していなかったと思い、落ち込んだというか頭がガツーンとした。

何かを成し遂げること、達成感=幸福ではないと数年前に分かったはずなのに、最近は資格だー!となっていた。

仕事の時間を最小限にして家族と幸せな日々を送りたいと思っていたのに、ここ最近、空いた時間で何かを成し遂げることばかりに時間を使っていた。

これは資格の勉強をしたくないから、こんなことを思っているのかともよぎったけれども、それなら幸せの日々を過ごす上で時間がそれでも、どうしても余った時にそんなことはすればいいだろうと今、書きながらも分かった。 やっぱり、日記を書いてると考えがまとまる。 ペンにノートで書いてるより、自分はスマホを打ちながらかもしくはペンとノートでも日記を書くとまとまるのかもしれない。

ずーっと自分の考えてることがよく分からなく、自分が考えることが出来ないことに悩んでいたのに、こんな風に分かるようになって嬉しい。

自分の中で何かを成し遂げることは最優先事項じゃない。

さっぴ、せいとく、自分が幸せになることに時間を使おうとお昼ごはんを食べてすやすやと昼寝をしている妻を思いながら、そう決めた。

今日は皮から肉まんか餃子作り。