オットーの日常

日々の日常、考えたことを綴っていきたいと思います。

さばの味噌煮

今日は朝、卵パスタを作って、その後、太陽が丘でとくのベビーカー筋トレ(坂道をベビーカーでひたすら押すとく独特の筋トレ。その甲斐あってかたくさん食べてもとくはスリムボディ)。

昨日のさっぴのブログを読んで、ビーフシチュー本当はもっと食べたかったんだけどすぐになくなると悲しいかなと思って我慢したら、さっぴの本音は真逆だったことを知る。

ブログを書き合ってないと分からなかった本音。 こういうことを繰り返すと夫婦がすれ違う→まる離になるんだと思い、ヒヤッとする。

さっぴが一緒にすることをブログって言ってくれてよかった。

その後、さっぴとくはお昼寝したので、ワシントン条約について少し調べて刑事の人が書いた本を読む。

昨夜、さっぴがイタリア人の研究者が書いた日伊の比較研究?の本を読んで、自分がイタリア人の表面的な部分しか見ていなかったことを教えてもらい、知った。

村主義で会社や友人との飲み会のようなものもなく、身内主義ということは知っていたけれど、その身内の飲み会やホームパーティーなども身内から仕事を斡旋してもらうために出席し、その代わりに相手が政治家なら票集めをするなどと言うことは知らなかった。

つまり、一族の仲がいいからみんなでわいわいとやるために参加するのではなく、互いにメリットがあるから出席するという非常に合理的な理由があるということに驚いた。

つまり、逆に言うと自分の家族以外は友人、知人はおろか親族でもメリットがないと関わらないということ。

けれど、それを聞いて安心した自分もいた。

昨日、さっぴもブログに書いていたけれど、妻も自分も友人はいない。

寧ろ、自分自身について言えば、昔から出歩いている時は知り合いの家の前を通るのを避けたり、どうしても通らなければいけない時は「会いませんように」と願いながら足早に過ぎ去っている。 身内ともコロナが理由で以前に比べれば遥かに会っていない。

家族以外で会って話す人と言えば、散歩してるときに会う近所の人に挨拶をするくらい。

そんな生活が快適なんだけど、そんなに人と関わらなくていいのか、というかそれでぼけないかとぼんやりと心配していたんだけど、それをとても肯定された気がしたからだと思う。

今日は午後からせいのサッカー。 サッカーやってる間、今日はテニスの壁打ちしよう。